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ニッポンのオシゴト講座/終了レポート

*11月21日(月)「小学校教員の仕事」
いま小学校はどうなっているのか? 学校の先生が本音を語ります。
無事、終了いたしました。お越し頂きましたみなさま、ありがとうございました。

 ニッポンのオシゴト講座、第三回は公立小学校で教員として働くHさん。戦後世代で高校生の時に学園紛争を経験し、それで人生観が決定されたといいます。学園紛争の真っ直中で大学時代を過ごし、いったん就職したものの仕事を辞めて教員免許を取得し、1970年代末から小学校教員として働きはじめて現在に至っています。
 小学校という場の特性を説明するために、Hさんは岡崎勝氏の著書『学校再発見』から「高等保育所」というフレーズを借りて表現しています。親よりも長い時間を子どもと共に過ごす学校は、いわば「第二の家庭」であり、子どもが接する最初の家庭外の世界です。同時に学校は、「日本人」という「国民」を作る場でもあり、さらには「生命の再生産」も担っている、と。Hさんによれば、「仕事としては農業に近いと思う。すぐに結果が出るのではなくて、成果が出るのは20年先、30年先だから」。
 小学校の先生の仕事は、(1)授業、(2)生徒指導、(3)行事、(4)保護者対応の4つが主要なもの。しつけ、集団行動などは、学校や教員によって重きを置く程度が異なります。授業で何を教えるかですが、「学習指導要領」ははっきりいって「意味不明の官僚的作文」で、ところどころに妙に文学的表現が用いられていてまともに理解することは困難。文科省と現場の乖離が感じられる、と。
楽しいことは、オリジナルの教材作りです。子どもの世界を社会的世界へと広げていくことができる。学級通貨や貿易ゲームで、社会的な関係性をリアルに体験させる。性教育も案外、保護者からの要望が多い。「子どもから質問されたけど難しいから先生教えて!」と。ただし深く突っ込みすぎるとクレームがくることもあるそうです。
 教材作りには、その先生の指導観があらわれる。けれども、団塊世代の大量採用以降、その後に空白世代があり、最近になって若い世代が採用されるようになったけれども、その指導観を伝え切れていない。そんななかで、若い先生たちの間で流行っているのは技術論だとHさんはいいます。「赤本」と呼ばれる指導書があり、若い先生たちの必需品でもあるのですが、これに頼りすぎるとかえって教えられなくなる。技術論やハウツーでは、実践のときに対応できず右往左往することになってしまう。Hさんによれば、若い先生たちは技術に頼ろうとしがちだけど、技術ではなくて、新聞を読むとか、映画を見るとか、小説を読むとか、そういう「外堀」を豊かにしていくことが大事。いま、若い先生たちは、まず新聞をとっていません。書類が増えて仕事が忙しくなり、新聞を読む暇もないという問題もあるのですが、Hさんは新聞を読まない先生たちばかりになることを憂慮しています。
 学校という場は、上からの指示に従って運営されるのでボトムアップが全くなくて、そういう場では合理的思考が育たないとHさんはいいます。上から降りてくる仕事は増える一方です。新しいことが採り入れられても、古いことを減らすわけではないから、仕事が増えるばかりで、仕方がないから中身は薄められていく。管理職も超多忙になっているので、一つ一つの書類を適当に処理しないとやっていけない。職員会議も、昔は徹底的に論議していたけれども、いまは論議せず伝達するだけになっているそうです。「論議すると時間がかかるから」と。
 最後にHさんは、危機のなかにある学校を再生させるためには、「学校の協働組合化」が必要という提案で議論をしめくくりました。いまは学校に対する地域からの反発が強いが、地域で子どもを育て、教師も地域から出てきて、自治的な運営をすることが学校再生のために必要だと。また、お話のなかで、実際の現場を見てもらおうということで、授業と行事の記録映像を見せてもらいました。教室の風景、給食、そうじ、職員室の風景、修学旅行のバスの車中、などなど。いまの小学校がどんな感じなのかよくわかる映像でした。
 参加者からの質問として、「協同組合としての学校の運営主体は?」「小学校という場がどうなれば子どもにとって望ましいですか?」「学校に対する地域からの反発って具体的にはどんなこと?」といった質問がありました。また、「ビデオの映像で学校の雰囲気がよくわかった。自分が小学生だったときから、職員室の雰囲気が変わらないことに安心した」という感想も寄せられました。

小学校教員の仕事


*11月7日(月)「病院で、お給料を払う~病院職員のお世話係~」
医療専門職を背後で支える病院事務の面白さと難しさを紹介します。
無事、終了いたしました。お越し頂きましたみなさま、ありがとうございました。

大阪自由大学ニッポンのオシゴト講座・第一期メモ
第二回「病院で、お給料を払う~病院職員のお世話係~」

 ニッポンのオシゴト講座、第二回は市立病院で事務職として働くOさん。某所の市役所に採用されて、最初の配属で「出向」として市立病院の事務職として働くことになりました。総務課で働くOさんは、ご自身の仕事について、病院で働く人の「お世話係」であるといいます。主には給与の計算、いまの時期だと年末調整など、他に臨床研修の事務や白衣の発注なども担当されるということです。大学を卒業してこの仕事に就いて2年目ですが、「社会科見学」の目で居続けることを忘れないようにしたいとOさんは言います。「職場に入り込み過ぎると、それはそれでよくない気もするから…」。
 ふだんのオシゴトについて、Oさんは手帳の中身を示しながら説明してくれました。黒革の手帳に仕事のメモをすべて書き込んでいくOさんのノート術は鮮やかで、月間スケジュール、週間スケジュール、1日のスケジュールを書き分けながら、そして仕事のことだけでなく、最近趣味の小旅行での旅程や地図、旅先で見た風景のスケッチなど、何でも手帳にメモしていきます。メモは、一般的な予定表やTo Doリストだけでなく、仕事をする上で気づいたちょっとした事柄なども書き込まれていて、なるほどこういうふうに仕事しているのか、というのがよくわかる説明でした。
 何でもメモをとるようになったのは、大学で学んだ人類学のおかげといいます。人類学の研究室でフィールドワークでのメモやスケッチの仕方を学び、それがいまの仕事にもつながっている。大学生のときは、国際ボランティアや開発系の仕事への憧れをもっていて大学院進学するつもりだったけど、4年生になって自分のフィールドが決められなくて悩んだときに、副指導教官と陰の指導教官のアドバイスもあって、自分のフィールドが「地域」だと気づいたそうです。大学では公共政策研究会というサークルや公園管理のNPOを通じて地域社会の活動にもかかわっていたので、「地域」をテーマに卒論を書きました。地域での活動のなかで市役所の職員さんとも接する機会があり、「働くなら市役所職員として地域に関わりたい」と思うようになり結局、大学院には進学せずに、「猛勉強して」職員採用試験に合格し、病院に配属されて今に至ったとのこと。
 北関東の工業団地で生まれ育ったOさんは、自分の地元での経験が人類学的な記述の対象になることを知って感激し、人類学という学問の面白さにのめりこみました。その後、両親が転居し、自分も大阪で仕事を見つけたので北関東には拠り所がなくなり、友人からは「帰らないの?」と聞かれることもあるけれど、「どこに?」という感じだといいます。むしろ、大阪に出てきてから、この街に受け入れてもらったという印象が強く、今の職場でも育ててもらっていると感じるので、「環境に助けられています」。
 この仕事は制度という「固いもの」と人間という「柔らかいもの」のぶつかり合いで、そこが生々しくて面白い。難しいことは「とくになし」。でも、「行き詰まっていることは、けっこうあります(笑)」。たとえば、市役所の「本庁」から異動してきた上司のやり方と、「病院」のやり方が違っていて、その違いの調整に苦慮されているとか。
 質疑応答では、「なぜ大阪に来ようと思ったの?」「病院というと、『白い巨塔』のイメージがあるけど、そんな感じはありますか?」といった質問が出ました。また、「日々を大切に、生活を楽しんでいることが感じられて、うらやましいと思った」「仕事の話から出身地をめぐる人間的な話まで、見事な話の構成に感服した」「手帳が面白かった。自分も手帳にメモを書きたくなった」「官僚制はルール通りというイメージがあるけど、本当は規則通りやるとうまくいかないから調整することが大事で、そのつどイレギュラーなことをどう調整するかがむしろ本業といえるかもしれない、というのがよくわかった」という感想が出ました。


*10月24日(月)第一回「ハタラクコトと生きること」
仕事と生活が不安定になるなかで、働くことと社会の関係について考えます。
無事、終了いたしました。お越し頂きましたみなさま、ありがとうございました。

大阪自由大学ニッポンのオシゴト講座・第一期メモ
第一回「ハタラクコトと生きること」

 ニッポンのオシゴト講座、いよいよ始まりました。
 第1回目は、複数の大学でかけもちの非常勤講師として働く社会学者の栃澤さん。本講座の企画者の一人でもあります。栃澤さんは、大学では本講座のテーマにもずばり関わる「現代社会と職業」という講義も担当されています。栃澤さんは、自分が仕事の話をしてもつまらないかもしれないと最初は思ったけど、でもじつはふつうの人が仕事の話をすることは案外おもしろいのではないか、そこに生活の悲喜こもごもがあらわれて、そこから学ぶことがあるのではないかと思い、今回、お話することを引き受けてくれました。本講座で考えたいこと、話したいことについて述べられた後、具体的にご自身のお仕事についての話が始まりました。
 栃澤さんは、毎日ちがう大学へ出勤するかけもち非常勤講師の生活について、1週間のスケジュールや、ある日の移動ルート、授業風景などをスライドを用いてわかりやすく説明してくれました。毎日、違う職場に出かけるので、電車に乗ってから「今日はどこで乗り換えるんだっけ?」と混乱することも時々あるという話が印象的でした。
 大学では、いくつかの少人数のクラスでは学生と雑談もできるけれども、400人以上の大教室の講義では個別に学生さんとかかわる機会もなく、また非常勤講師は基本的に1年契約なので来年度授業をもつかどうかわからず、継続的に学生さんとかかわることができないのが惜しいという話でした。
 「なぜ大学の先生になろうと思ったの?」とよく聞かれるけど、なろうと思ってなったわけではなく、社会学の研究をつづけたくて、研究をつづけているうちにいつのまにか大学の非常勤講師という仕組みのなかに入っていたと栃澤さんはいいます。「でも、こんな言い方するとモチベーションがないとか、やる気がないとか怒られるんだけど(笑)」
 学生からは気楽そうに思われるけれども、栃澤さんは経済的には楽ではなく、年金・税金・健康保険の負担がきつくて年収は200万円に届かないそうです。一週間の予定を見ると4日働いて3日休むみたいになってるけど、休みの日には授業の準備と研究をしているので、そんなに余裕があるわけではないとも。
 最後に、「この授業では友だちといつも大富豪(トランプのゲーム)していたので楽しかったです」という学生さんからの授業の感想に衝撃を受けた体験が語られ、栃澤さんはそこから現代社会で大学生が置かれた状況を社会学的な構造連関図を用いて分析し、経済的に厳しい中で学生もアルバイトに多くの時間を割かねばならず、他に居場所もないので授業中が大学で友人と遊べる数少ない時間であること、就職難のなかで将来の不安を抱えていて余裕がないことなどを指摘します。栃澤さんによれば、それは決して最近の学生がやる気がないとか、学生の質が落ちたという問題ではなく、社会構造的な問題なのです。
 参加者からの質問では、「非常勤講師の給与に授業の準備時間は含まれないの?」「研究はどういうふうにやっているの?」「研究内容と授業で教える内容は関連するの?」などの質問が出ました。また、「自由に働いているようでハッピーに見える」「自分が大学生のとき、非常勤の先生にいちばん影響を受けた。給与の面ではしんどいかもしれないけど、学生にとって外部の先生が大学に来ることは大事だと思う」といった感想も出ました。

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